2010年10月27日

大阪市平野区にある小出製作所様に行ってきました。

あらゆる音楽ジャンルで使用されるシンバル。それを国内で唯一製造するメーカーである小出シンバルは、大阪の町工場で産声をあげ、今やプロのドラマーからも求められる重要なブランドになるまで急成長を遂げています。
今回はその生みの親である、小出俊雄社長に小出シンバル立ち上げに至るエピソードやシンバル作りについて色々とお話を伺ってきました。

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Q.国内で初めてシンバル作りをはじめるということを決めたとき、新たな挑戦にプレッシャーがあったと思うのですが、どういった経緯でシンバル作りをするということになったのですか?


A.シンバル作りはコストがかかり、大手のメーカーも手を出していないのですが、新たな挑戦といっても、それまで大手メーカーのティンパニケトルを作っていたということもあったので楽器との関わりがあり、プレッシャーというものはそれほど感じていませんでした。
ケトルを作っていた時代に人手が足りなくなり、知人の紹介でドラマーが入ってきたんです。
その彼に、学生時代に真鋳のシンバルを作っていたことを話すと「日本でシンバルつくっているところはないですし、是非作りましょう!」と言われたんです。
今ある設備で何とかなるかもしれないし、国内オンリーワンであるならやってみてもいいかな、と思ったんです。
当時はそういった新たなことに挑戦する余裕も私にあったので、気楽な気持ちで作り始めました。


Q.製品として世に送り出すにはもちろん苦労もあったと思いますが?


A.素材の調達がとても苦労しました。まずシンバルの素材がどういった成分で出来ているのかという分析から始めたのですが、分析の結果知りえたその合金がどこにも存在しないものだったんです。
ではシンバルの主要メーカーはどうやってその素材を調達しているのかを調べてみると、自社製造しているということが分かったのです。
それ以外に工業規格にある素材を使ってシンバルを作っているメーカーがあるということも分かったのですが、国内で調達できるものではなく、あったとしてもシンバルを作れるほどの大きさが無かったんです。
2年ほど苦労して探して、ようやくドイツから必要な量の素材を入手することができました。
素材探しと平行してハンマー加工(熱した金属をハンマーで叩き、形成する技法)の研究を続け、ある程度それが身についてきたんですが、趣味ではなく仕事となれば大変なことで、手作業でハンマリングしてシンバルを世に送り出すにはコストが合わないということになるんです。(笑)


Q.そういった問題をどのように改善していったのですか?


A.ハンマリングをする機械を作らなければいけないと思いました。
費用のことや大手メーカーでは対応してくれないといった問題がある中で、何とか個人でやっているメーカーを探し出して1号機が出来上がりました。その後その機械を更に改良し今にいたっています。

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 【ハンマリングマシンで成形】

素材とハンマリングマシンの準備が整ってようやく本格的にシンバル作りが始まったのですが、実際に売り物にするものとして納得できる物にするまでに数年の研究期間がかかりました。
その後、もっと研究をすすめて新シリーズを開発するために再び素材探しをしなくてはならなくなり、苦労するかと思ったのですが、トルコのメーカーに連絡をとったら案外簡単に提供してもらえることになりました。
トルコの材料は非常に硬く、ちょっとしたことですぐに割れてしまいます。そこで、もう一度焼いて加工しやすくしないといけないということになるのですが、焼入れをしてくれる業者が見つからず、最終的には自社で炉を作って、しっかり温度管理をし、加工しやすい原版をつくれるようにしました。
そうすることによって、一度作ってダメだったシンバルを焼きなおしてもう一度始めから作り直すということも出来るようになりました。

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【炉で焼いた後のシンバル素材】

Q.テレビ取材をうけたり、国内唯一のシンバルメーカーとしてのブランド力も向上しプロドラマーからの直接依頼もあるそうですが?


A.最近では実際に工場へ来ていただくプロドラマーの方も増えました。多くの意見を聞き、そこから更に良いものを作ろうという意識が芽生えてきますので、これからもどんどん意見を聞いて、品質の向上を目指していきたいと思います。


Q.シンバル作りをしていて一番難しいと感じられることは何ですか?
シンバル作りをしていて一番よかったと感じられることは何ですが?


A.一番難しいところは・・・全部です(笑)作ったものの均一性を高めたいと常に思っておりますが、素材やハンマーの打ち具合でシンバルは大きな影響を受けるものですから、非常に難しいところではあります。

良かったと思うことは・・そうですね・・ユーザー様に「良い音ですね」と言われて嬉しいことはもちろん嬉しいですが、本当にそう思ってもらえてるのかは本人にしか分からないことなので、そう言われることよりもユーザーさんが増え「実際に使っていただけていること」その事実が一番嬉しく、シンバルを作ってよかったなと感じます。


Q.最後に、ものづくりをする上で一番大切なことは何だと思われますか?


A.我慢です。(笑) それと常に考えることだと思います。シンバルというものは「これが良い!」というものはなく、演奏者が個々に持っている感覚が全てなんです。シンバル作りだけではなく、ものを作るということは壁にたくさん当たるものです。
失敗すれば、どこが悪かったのかを調べる。そしてまた作る。その繰返しです。

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今日はお忙しいところ、取材にご協力いただきありがとうございました。


小出シンバル ホームページ
http://koidecymbal.com/


小出シンバルの製造工程
http://www.koidecymbal.com/factory/build.html

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2010年09月22日

今月の体当たり企画は、大阪市東成区にある桑田金属製作所様です。

今月の体当たり企画は、大阪市東成区にある桑田金属製作所様へ行ってきました。
タンク類や鉄道車両の部品などを作る製缶、板金加工業である桑田金属製作所では、一風変わった面白いものも製作していました。 
 

工場を案内されて目に付いた機材。
レーザーで鉄を切ることが出来るものなのだそうです。
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大阪で、最初にレーザーで鉄をカットする技術を導入した桑田金属製作所。
パイプを自由に切ることができるということを伝えるために、あるものを製作しはじめました。

それがこちら。
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初めに創ったのは「門松」、次に「鯉のぼり」、「恐竜」それから「干支シリーズ」間に「ふくろう」「かえる」「猫」、そして今「動物園シリーズ」として「ゾウ」「キリン」「サイ」「ライオン」と進んでいます。

レーザーで鉄パイプを切り、曲げて出来上がったものです。
なんとこの象、一本のパイプで出来たものです。

これが
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このようにカットされて
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曲げて、こうなります。
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この技術をNHKがとりあげ、それがきっかけで色々なテレビ局から取材の依頼がくるようになったそうです。

大きなものになると高さが180センチになるものもあります。
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パイプをカットした作品だけではなく、切り絵作家さんとのコラボレーションで芸術的なライトスタンド等も製作されていました。
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こういった功績を称え、代表取締役の桑田泰彦さんは某局テレビ番組から「となりの人間国宝さん」に認定されたそうです。
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自社の技術をユーモアをもって発信する。
その成功例を見ることができ、とても有意義な工場取材となりました。
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2010年08月25日

今月の体当たり企画は、西堀栄三郎さんについて取材しました。

今月の体当たり企画は、西堀栄三郎さんについて朝日新聞社ビルで催されていた「西堀栄三郎展」と滋賀県「西堀栄三郎記念、探検の殿堂」を取材しました。


西堀栄三郎さんは独立コンサルタントとして、統計的品質管理手法を日本の産業界に持ち込み、総合品質管理の進歩に功績のあった民間の団体および個人に授与されている賞である、デミング賞や電電公社総裁賞を受賞し、戦後日本の飛躍的な工業発展の礎の1つをつくった人物です。

西堀さんは戦時中、陸海軍が規格統一なしにばらばらで使っていた各種の真空管に対して、「ソラ」という名前の、何にでも使える標準化した真空管を東芝で開発しました。

当時としては、全くの素人の動員学徒でも作れるように扱いやすく、しかも高性能の真空管でした。
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その真空管「ソラ」は、戦時中のことなので材料も悪く、歩留まりが上がりませんでした。

そこではじめたのが「品質管理」。今となっては当たり前ですが、当時としては馴染みの無い研究です。
そしてその研究で生まれた手法が、戦後の日本の産業の品質を世界一のレベルに押し上げる原動力になりました。


西堀さんの品質管理に対する考え方の中に、「品質管理は工程管理である」という考え方があります。
「製造業だけではなく、サービス業やコンピューターのソフトを作る会社であっても、製造業でいう工程に相当する部分が必ずあり、それは現場で働く人間の性格や心理というものまでが品質に影響し、その要素が少しでも効いている工程ならば、その人間の問題を抜きにして品質管理を語ることはできない。」というものです。
「品質を管理する」のではなく、「品質で工程を管理する」という発想です。

西堀さんは、探検家としても大変活躍された方でした。
南極大陸での越冬事業を日本人として最初に成し遂げたのは、西堀さんの率いる越冬隊でした。

後にその隊での出来事がモデルになった映画「南極物語」は有名です。
西堀さんの越冬体験を知るには、同氏の著書「南極越冬紀」がとても解りやすいですが、滋賀にある「西堀栄三郎記念 探検の殿堂」では-25度と言われる南極での凄まじい寒さを体験することができます。

ブリザードといわれる猛烈に冷たい風が一度ふけば、写真のように、水に濡らしたハンカチも瞬く間にカチカチになりました。
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「応用がきく、本当の役に立つ知識は、おっくうがってじっとしていては得られない。かならずそこへ足を運び、自分の手で触り、目で見て、匂いをかいだり、時に味わったりして、初めて自分のものになる」という言葉を残しています。

イラストと共に「知識は知識である。それだけでは使えない。体験して生きた知識、真の知識を身に付けよう。」という言葉等、数々の西堀語録をこの世に残し、1989年に86歳で亡くなられました。

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2010年07月28日

昔ながらの技術「活版印刷」

今月の体当たり企画は、昔ながらの技術「活版印刷」に注目!
ということで、大阪市福島区にある明晃印刷株式会社様に突撃取材してきました。
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活版印刷というのは金属の活字判を組みあわせ、それにインクをつけたものを
紙に押し付けて印刷する、昔ながらの印刷方法です。

印刷所には活字の掘り込まれた、文字盤がずらりと並んでいます。
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フォントのタイプ、サイズ、様々の種類に分類されたものから、印刷していく文字を
選び出します。

これはかなり大変な作業になります。
現場の方にお話しによると、1分間で60文字は揃えられなければ一人前ではないとのこと。
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因みに私は自分の苗字二文字を探すだけで1分かかりました・・・。
文字を拾い終えたら、作業台で活字の配置です。
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文字の無い部分には、コミという金属ブロックを詰めます。
大体で文字を配置するのではなくて、隙間無く埋めていきます。
出来上がりはこんな感じです。手作業でこの精度。職人技です。
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そして印刷工程。
手動で校正刷りを行っていたそうです。インクを塗った版にローラーで紙に押し付けます。
写真は校正機。
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小さめの印刷機は、はがきや名刺用。
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一番大型のものでは、このくらいの機械になります。
昔の機械は非常に頑丈に作られていて、メンテナンスさえ忘れなければ
故障しらずで動いているそうです。
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パソコンが普及し活版印刷を行う会社は減少しているそうです。
しかし手作り感の溢れる質感を好み名刺等、デザイナーの方からの受注が多いとか。
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押し付けられ、印字部分に凹みができるこの風合いにどこか温かみを感じました。
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2010年06月23日

ヒット商品が誕生するまでの過程を調査!

皆さんご存知のカップメン。
今でこそインスタント食品のスタンダードとして年間82億食が消費されていますが、
開発過程には大きな苦労が伴い、発売時もなかなか売れませんでした。
 
チキンラーメンを開発し、大きく成長した日清食品。
しかし、後続のメーカーが次々と現れ、しのぎを削る戦争状態に。
消費者の頭打ち、値崩れ。
日清食品も業績の伸びが止まり、夏の間は給料は4割カット、製造ラインがたびたび止まり、1100人いた従業員は800人に減りました。
 
そんな危機の中、販路を海外に求めて社長の安藤百福はアメリカへ飛びました。
 

【カルチャーショックがカップ麺を生んだ】
アメリカでチキンラーメンのプレゼンテーションをしていると、アメリカ人のバイヤーから質問が投げかけられました。

「その食べ物はどの様な器に入れて食べればよいのですか?」
アメリカには”どんぶり”が無く、日本のラーメンのようなスタイルで食べる文化がありませんでした。
しかしそのバイヤーは、チキンラーメンの乾燥麺を手でボキっと割り、それをコーヒーを飲むマグカップに入れて熱湯を注ぎ、フォークで食べはじめたのです。
 
即席麺の国際化を志していた安藤氏にとって、この光景は衝撃的だったようです。
「箸やどんぶりを前提に考えていてはいけない」その思いを胸に抱き、専用容器入りのインスタントラーメンの開発を決めたのです。


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【容器の開発】
まず容器を開発するにあたって、

「容量はどんぶり一杯分」
「お湯を入れても手に持てること」
「深さがあること」

がポイントでした。
開発部隊は、試作品を作ってはボツにされることを繰返しながら、社長命令である

「見た目の安定感」
「実用上の安定感」
「オシャレであること」

をコンセプトとし、今でこそ当たり前になりましたが、当時としては斬新な「ラーメン=どんぶり」の固定観念
を覆す、カップ麺の容器の形が完成しました。


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【麺の開発】
麺の開発は多難を極めました。

ポイントは
「味付メンであること」
「チキンラーメンとは全く別の味を作ること」
「容器に合わせたメンであること」

で、特に容器に合わせたメンを作ることはとても難しかったそうです。
容器の金型にメンを詰め油で揚げるのですが、油の温度を調節し何度やっても中が半生であったり、外が黒こげになりました。
突破口になるヒントとなったのは「てんぷらの調理法」でした。

てんぷらは具を油に投入すると底に沈み、食べごろになると浮かび上がります。
金型にメンを目一杯入れていたのを、浮かび上がるためのスペースを作り、揚げることで、中までしっかり揚がったメンが完成しました。
開発者は長い開発期間中、一日に10〜20食の試食をし、自宅での料理が喉を通らなかったそうです。


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【具の開発】
具の開発では、エビを取り入れることが多難を極めたそうです。

豪華さが感じられる食材として、真っ先にエビが挙げられたのですが、殻を剥いても身が赤く、更には凍結乾燥をしてもその色が保たれる素材を探さなければなりませんでした。
世界中で2500種類ほどあるエビの中で、その条件を満たすものになかなかめぐり合うことができず、諦めかけた時に偶然バーで頼んだシュリンプカクテルの身の色味が目に留まり、インド洋に生息する「ブーバラン」という素材がマッチしたそうです。


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【営業の苦闘】
カップヌードルの価格設定は当時100円でした。当時、袋に入ったチキンラーメンが25円で、100円はその4倍にあたります。
今でいえば、320円とか、350円とか、そういった価格帯です。
その価格帯がネックとなり、食品問屋をはじめ娯楽施設等では門前払いにされたそうです。


そこで、カップヌードルの販売ルートの開拓を専門に行なう部署を社長直属で設置し、さまざまな組織に営業をかけていきました。
100円という高価格に、あまり敏感ではなかった百貨店をはじめ、自衛隊、警察、警備会社にパチンコ屋、テレビ局など、どこも夜勤があったり、現場での作業があったりで、手軽に食事を済ませる必要のある職場です。


更に、発売直後に銀座の歩行者天国で大規模な直接セールを実施。
大きな話題となり、回を重ねるごとに販売数は激増し、一日に数百万円を売り上げるまでになりました。

更に知名度を一気に全国区にする事件『あさま山荘事件』がきっかけとなり、当時すでに警察機動隊にカップヌードルを納品していたため、事件の現場でカップヌードルを食べる機動隊員の姿がテレビニュースで度々放映されました。
その模様を見た各県警やテレビ局からもカップヌードルの注文が殺到して話題となり、カップヌードルは不動の人気を獲得するに至ったのです。
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2010年05月26日

結び目の無い脅威の糸作り

今月の体当たり企画は、京都府にある村田機械株式会社様(以下村田機械様)へ取材へ行ってきました。


1973年にファクシミリ型式認可第1号を電電公社(現NTT)から獲得。
1987年には業界初の10万円を切る普及型ファクシミリM-1を発表するなど、ファクシミリを一般に普及させる大きな原動力となった企業のルーツは繊維機器の開発にありました。

私たちが毎日身に着けている服や下着のほとんどは糸からできています。
糸はもともと無数の繊維からできています。
今回は村田機械様の編み出した結び目の無い脅威の糸づくりに着目しました。

 
糸を紡ぐ「紡績」は最終工程に位置し、30年ほど前までは結び目がだんご状になり、太さのばらつきや汚れなどが出ていました。
 
一本の糸に何十箇所もの結び目ができてしまい、編機や織機などの工程では結び目が引っ掛かり、機械を停めるトラブルもしばしば起こっていました。
さらに生地になった後は、結び目が糸のほつれや穴明きの原因ともなりました。
 
村田機械様は結び目のできない自動ワインダー用糸つなぎ装置「マッハスプライサー」を30年前に発表し、(糸つなぎ)技術の研究開発をたゆまず続けています。
それでは、その技術とはどのようなものなのかをご紹介させていただきます。
 

まず、つなごうとする2本の糸を重ねます。
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それぞれの糸の端っこが空気の力でピンクの穴に吸い込まれます。
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糸はもともと無数の「せんい」をより集めて作るため、空気を強く吹き付けると「せんい」がばらけて、糸がほどけます。
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ほどけた糸同士を重ね合わせて・・
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もう一度空気を強く吹き付けます。
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すると、見事にきれいな一本の糸になりました。
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結び目もありません。
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ちなみに結び目がある場合と比べると、これほどの差があります。
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そしてその糸を実際に生地したものと比べると、これほどの差があります。
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この技術は多くの繊維機械の進化に貢献し、そして製品流通まで含めて繊維産業全体に多大な影響を与えました。
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2010年04月28日

大阪市平野区の森野サンプル様へ取材に行きました。

【森野サンプル、食品サンプル作製体験】
 
今回の作製体験はチョコレートパフェの食品サンプルでした。
 

材料はクリーム、フルーツ、チョコレート。
このように言うと本物のパフェと同じになってしまいますが、
フルーツはビニールで出来ています。


シリコンで本物のフルーツから型をとり、それにビニールを流し込んで作製されています。
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バナナの表面の模様等は細かく手書きしたものをシール加工し、量産を図っています。
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チョコレート色の塗料が入ったカップの上に、ソフトクリームを巻く要領でシリコンのクリームを流しこみます。
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そうすると巻いたクリームの隙間にチョコレートの塗料が上がってきて、綺麗なしま模様になります。
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フルーツを盛り付けます。
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シリコンクリームの上にチョコレートの塗料をたらし、
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乾いたら、質感をだすためのニスを塗ります。
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完成です。
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作る前はもっと見当もつかないようなつくり方をしているのかと思ったのですが、
面白いことに、料理と全く同じ工程で簡単に出来上がってしまいました(笑)

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2010年03月24日

まほうびん記念館

今月の体当たり企画は、大阪市にある象印マホービン株式会社
「まほうびん記念館」を取材してまいりました!
 
「真空の力」による保温・保冷技術が誕生して100年余り。
象印マホービン株式会社日本の、まほうびん草創期から真空
テクノロジーを基本に、数々の製品を開発し、“人”とくらしを接点に
90年を歩んできました。

その歴史の中で、開発され人のくらしを支えたまほうびんで、
今では見られなくなった珍しい商品が展示されていました。

 
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↑は、まほうびん戦後第1号製品です。
注ぎ口がペリカンに似ていることから「ポットペリカン」と命名
 

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↑これも真空の力を利用したものなのですが、
30代の私は、最初見たときは何のためのものなのか、

全くわかりませんでした。
この製品は主に昭和20年代から30年代にかけて活躍し、
喫茶店やお祭りの屋台などで、アイスクリームを保存していた
ものだそうです。
 
外観もどこか昭和の香りのするもので、見ているとノスタルジック
な気持ちになりました。
 

「まほうびん記念館」では、時代の流れにそった商品開発の歴史を、
日本人の生活スタイルの変化と共に閲覧できるようになっており、
大変スタイリッシュで素敵な空間です。

 
是非皆様も足を運んでみてください。
 
 
まほうびん記念館 ホームページ
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2010年02月25日

清酒「白雪」で有名な小西酒造株式会社は創業460年になるそうです。

清酒「白雪」で有名な小西酒造株式会社は創業460年になるそうです。
皆さん一度は見たことがあるかと思うのですが、↓の商標 
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日本で最も歴史が古い商標と言われているそうです。(ブルワリービレッジ長寿蔵ミュージアム調べ)
「白雪」は江戸初期1635年頃に陸路江戸へ酒を運ぶ途中、富士の霊峰に

かかる万年雪の気高さに感動した小西家二代目宗宅が命名されたそうです。
 
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 ↑の画像は「白雪」という商標が生まれた頃に樹齢800年を超えるケヤキの

 一枚看板に描かれたものです。
この文字は酒豪であり、当代の詩家でもあった「日本外史」で有名な儒学者

「頼山陽」の筆になるものだそうです。
 
彼は伊丹を愛し、度々、小西家を訪れ多くの書画を残したそうです。
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2010年01月27日

コーラ工場

Q・工場の床は、なぜナナメになっているのか?

A・工場の壁や床、機械などを洗った水をためずに流すための工夫で、見た目に気づかないぐらいのわずかなかたむきです。
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Q・ドアが二重になっているのは何故なのか?

A・工場の中の二重ドアは、ラインを清潔に保つためにあります。
ドアとドナの間にはエアシャワーがついていて、服についたホコリや虫を吹きとばします。
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Q・壁と床の境目がカーブしているのは、何故なのか?

A・すみずみまで掃除がいきとどくようにしているもので、隅にごみがたまらず、工場内を清潔に保っていることができます。
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Q・一つのラインがとても長いように思うのですが?

A・製品をたくさんつくるときや、どこかの機械を点検でとめた時などに”交通渋滞”がおこらないよう、ラインを長くしています。
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Q・オレンジ色のシートシャッターが多くありますが?

A・シートシャッターがオレンジ色なのは、虫が入らないようにする為です。
オレンジ色には虫を遠ざける効果があります。
その他に虫の侵入を防ぐために、工場内の空気圧を高めるということもしております。
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Q・工場内で作業している人が少なく感じますが、数名の作業員の方は何をされているのですか?

A・工場ではフルオートメーションシステムで製品が製造されており、数名のスタッフと機械がチームをくんで作業にあたっています。スタッフは定められたルールどおりに製品ができあがっているか、厳しくチェックしています。製品に使用されている水も、世界中のどこで飲んでも同じおいしさになるように、厳しい基準値で管理しております。ほかの材料も安全と確かめられたものしか使われません。工場から発送できるのは全ての厳しいテストに合格したものだけです。
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Q・一日にどのくらいの数の製品が出来上がりますか?

A・一日に約180万本の缶製品ができあがります。
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Q・ずっと以前からの謎だったのですが、瓶コーラの底の側面に○か□の刻印あり、私の子供の頃に○が甘口で□が辛口だという噂が流れました。中には△の刻印も存在し、それが中辛だと言い出す子供もいました。週間少年ジャンプにて連載中の「こちら葛飾区亀有派出所」の両さんも漫画中でそのことを言っていたのですが、刻印の本当の意味は何なのでしょうか?

A・その刻印は瓶に印刷されるロゴマークを正常な位置にレイアウトするためにあります。刻印の形は製造ラインによって形が違います。刻印の違いによって味が違うということは残念ながらございません(笑
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